あなたの言葉の杜切れ間を。

日々のことを綴ったチラシの裏。

被災してから

取り敢えず書き残します。
日にちや曜日、時間の感覚がほとんどないので不明な点も多いと思う。
気持ちが安定しないので乱文。





3/11に被災した。
たまたま仕事がキャンセルになったので、母と仙台へ買い物へ行った。普段なら仕事が休みじゃなければ仙台なんて行かないのに。その日はたまたま行こうという話になった。
午前中から買い物をしてあちこち歩いて回った。
化粧品を買って、香水を買って、服を買って、食料品を買って。
最後に藤崎百貨店のB1でチョコレートやお菓子を買ってそろそろ駅方面へ向かおうかと思ったその時、あちこちでけたたましくアラームがなった。
以前の宮城県の地震の時に確かに聞いた、緊急地震速報のアラームだ。
見知らぬ人たちと蒼白となった顔を見合わせた瞬間、ホワイトデーで賑わっていた売り場はパニックになった。
ぐらりと揺れ、足元が浮くような感覚の中では立っているのがやっとで、未だかつて体験したことのないこの揺れが、よくテレビなどで言う「立っていられないほど」の地震なのかと頭の片隅でぼんやりと思っていた。
きれいにディスプレイされたFAUCHONのカップや皿がガシャンと音を立てて割れ、破片がそこかしこに散らばって、おばあさんが悲鳴をあげて泣いていた。
それを横目に、私と母は離れ離れにならないように互いの腕絡ませながら壁際まで歩いた。が、思うように足が進まない。
後ろから迫ってくる色とりどりのお菓子の入ったガラスケースに、子供の泣き声に、百貨店の店員の危険を叫ぶ声に、出口へと急ぐ人の波に、恐怖だけを感じていた。
サービスカウンターまでやっとのことでたどり着いた頃、少し揺れが収まって、皆が安堵のため息を付いたのがわかった。
でも、また揺れ。
サービスカウンターには駐車券のスタンプを押してもらうために集まった人が我先にと人を押しのけカウンターへと手を伸ばす。
サービスカウンターのお姉さんは冷静に、並んでください!と声をあげ一人ひとりスタンプを押していった。
食品売り場担当らしい服装の男性店員が、まだ外には出ないで下さい、落ち着いて下さい、ガラスに注意して下さい、とパニックになっている私たちを宥める。
だが、その声も逃げ惑う人々に届いているのかはわからない。
10分くらいだったのだろうか。それとももっと短かったのか。
ようやく、本当にようやく人々の叫び声が落ち着いた時、外へと出ると歩道がガラスの破片でいっぱいだった。
余震が続く中、外へ出たり、また店内へ戻ったり、それを4、5回ほど繰り返してやっと店外へと出ることが出来た。
少しでも余震が来ると空からガラスの破片が降ってきた。
覚束ない足取りで、震える体で、ひたすらに駅方面へと向かった。
電車が止まっていることなんて重々わかっていたが、とにかく駅まで向かおうと思う気持ちだけが足を進めていた。
途中でアパレルショップの店員らしき人を何人も見かけた。
貴重品だけを詰めたビニールの透明な休憩バッグを抱えた彼女たちの格好は、半袖やショートパンツ、素足、サンダルで初夏のようだ。
ダイエーではビル上部から水が吹き出し、滝のようにビルと地面を濡らしている。
三角コーンと緊急用の黄色いテープで水浸しの歩道は歩行出来ないようにされていたが、通り過ぎる人々の足元を冷たい水しぶきが濡らしていた。
その後も駅に向かう道中、さくらの百貨店の壁が、固く重そうなコンクリート片がごろりと歩道に横たわっていた。
駅にはたくさんの人が溢れていた。
停電した仙台の街は車道まで人、人、人。
ワンセグを使ってテレビを見ると、岩手県の津波の様子が映されていた。
知らなかった。10mもの津波が来ているなんて全く知らなかった。
仙台は津波被害は大丈夫だけど、私の地元は福島県南相馬市だ。
私の家は高台にあるので大丈夫だろうが、祖母や大叔母、叔父、いとこ、友人は?
海沿いに住んでいる知り合いたちは大丈夫なのか、それが気がかりで仕方がなかった。電話は全く繋がらない。
地元の状況も心配だったが、私自身も他人を思っていられるほどの余裕はない。
電車はもちろん使えないので、バスに乗ろうと思った。
でも福島県の海沿い、浜通りに向かうバスはないとのことで、私たちはいよいよどうする術もなくなった。
だんだんと気温が下がり、3月なのにも関わらず雪が降った。
雪はどんどんと強くなる。気温もぐんぐんと下がる。
建物内へと入れない中でみんなが寒さで震えていた。
避難所へ向かおう足を運んではみたものの、土地勘のない私たちはどの道を進めばいいのかそれすらわからない。
しばらく街をさまよっていると、無人になったマツモトキヨシで飲み物や食べ物を盗む人を見かけた。
冷たい刺すような風を避けるためにパチンコ屋の片隅で体を休めた。他にも私たちのようにさまよう人々が集まっていた。
パチンコ屋の店員が数人の男性に、今日の分はちゃんと後日戻ってきますから安心して下さい、といって回っていた。
地震が起きてから何時間経ったのかすらわからないが、父とやっと連絡が取れて迎えに来てもらえることに。
といっても、南相馬市から仙台までは普段でも2時間以上かかる。迎えがくるまではまだ長い。
進展はないものかと駅まで戻った。テレビ局の車が数台来ていた。近くの工事現場の人が夜間作業用のライトを持って来てくれていた。暗かった仙台駅は際立って明るくなっていた。
二台しかない駅の公衆電話には長蛇の列が出来ていた。
日が暮れるにつれて気温は下がる一方だった。隣にいた人が聞いていたラジオから、地震から5時間が経ちました、という言葉が聞こえてようやく時間の感覚を取り戻した。
5時間。5時間も寒い中コート以外の防寒対策もしないまま外をさまよい続けて、とうとう体が言うことを聞かなくなってきた。
思うように体が動かない。震えを止められない。カチカチと歯が鳴る。手と足の感覚はすでにない。
夜の9時頃、仙台駅から歩いて15分ほどのところにある避難所になっている小学校へ連れて行ってもらえた。
学校はたくさんの人で溢れていて、昇降口から廊下まで埋め尽くされていた。
毛布は全然足りていない。床に敷いてあるブルーシートの上に座って時間が経つのをただただ待った。頭が痛い。
10時を少し過ぎたくらいに父がようやく仙台駅に着いた。
母と避難所を出て仙台駅まで向かう。さっきより幾分足取りは軽い。
雪が降ったせいで地面は濡れて、一部がブラックアイスバーンになっていた。滑った。
駅で見慣れた車を見つけて泣きそうになった。暖房がついた車内は暖かかった。
南相馬市までの帰り道はひどいとしか言いようがない。
何度も何度も迂回した。絶望していた。
国道六号線は悲惨だった。新地町あたりは流木や泥が道を塞ぎ、走るのもままならない。
友人の実家が無事なのを見て少しほっとした。
だが相馬市に入ってまた絶望した。救急車が路肩に置き去りのままで田んぼが海のようになりすぐ横の道まで迫っていた。
バシャバシャと水の中を走り過ぎる間、海沿いに住む友人たちの無事を祈った。
深夜2時を回った頃、家についた。私の家は津波被害はやっぱり受けずに立っていたが、駐車場には亀裂が走り、地面が少し陥没していた。
家の中はめちゃくちゃだった。
はめ込み型の本棚が壁の中へとめり込んで、壁は亀裂だらけ、壁は一部剥がれて床が粉でまみれていた。
二階に上がる階段も少しだけ壁との間に隙間ができ、いつも以上にミシリミシリと音を立てた。
二階にある私の部屋はベッドやチェスト、タンス、本棚、デスク、全てが元の場所から離れていた。
長年集めてきたマンガも本も、CDも床にぐちゃぐちゃに落ちていた。
両親の寝室は、母の嫁入り道具の桐のタンスが倒れていた。
電気とガスはあったが水が止まっていた。
家の一角にある私と母の店を見に言ったら商品が倒れ、タオルは床に散らばっていた。
その日はそのままこたつで寝た。


翌朝痛む体を起こし、暫し考える。
昨日のことは夢ではなかった、それが分かると急に不安に押しつぶされそうになった。
どうしようもなく怖くてはたまらなかった。
友人や親族とも未だ連絡は取れずじまい。
命だけは無事で、ただそれだけを願った。
水道が止まって水がないので、井戸水の出る祖母の家へと向かった。祖母の家では炊き出しをやるらしかった。
トイレの水はお風呂の残り湯を使い、飲料水はもらってきた井戸水。
食料もそんなにある訳じゃないので、ご飯を多めに炊いて少しのおかずで食べる。
数日こうやって過ごせばきっとどうにかなると思っていた。
お店だってまた再開出来る。そう考えていた。
でもそうはいかなかった。
福島第一原発一号機が爆発したのだ。
もうしばらく様子を見ようと思いその日は家で過ごした。

年末年始まとめ

30日の夜が結構きつきつでうわあああああ!!!!!ってなりながらもなんとか仕事仕事納め。
翌31日に大掃除して、DVDレンタルして、酒飲んで、紅白の結果も見ずに就寝(というか酔いつぶれた)。
1日。元日。目が覚めると14時だった。友人とご飯食べてカラオケ行く予定だったので目覚めに風呂に入るものの、目覚めるどころか湯船でうたた寝。もちろん遅刻。もつ鍋食って酒飲んでカラオケ。アニソンとボカロオンリーで、気の合う友達の素晴らしさを再確認。
2日は中学時代の同窓会なのに余裕の昼過ぎ起床。やっぱりいそいそと準備。久しぶりに恩師に会えたけど、70歳とは思えないほどの若さ(見た目とかノリとか)。子供と外国人と接してる時間外長いとそうなのかな。ソロプチミストだったんですね先生。一次会二次会三次会、ずっと飲みっぱなし。二次会で友人のおねいさまに遭遇。相変わらず美しかった。
3日も昼過ぎ起床。DVD見たり雑誌読んだり、ぐだぐだ。夜にビール飲む。
4日も昼過ぎ起床。DVD見て、そういえば私ほぼ日デビューしたのに書いてないじゃない!と気がついて取り敢えず書く。まだスタイルが決まらない。ウィークリーとマンスリーはどうにかなったけどデイリーはまだまだ時間が必要そう。夕方からウイスキー。
5日。最後の休日なので8時起床。部屋の掃除してからぐだぐだ。DVD鑑賞して今に至る。
さすがに今日は飲まない!……と思う。

新年のごあいさつ

あけましておめでとうございます。
もう三が日過ぎちゃったけど、今年もよろしくお願い申し上げます。
こんな僻地の日記をアンテナに入れてくださったり、読んでくださる神のような方々にたくさんのハッピーを!
これからもハイパーマイペースで更新したいと思います。

イヴ

今日ってクリスマスイブなのね。
昨日テレビで言ってるの聞くまですっかり頭から抜けてた…
基本的に毎週月曜休みだから、祝日とか週末とか感覚ないし、そもそもイベント事に興味がなさすぎて若干世間から取り残されてる。
そんな25歳嫌だ。一気に老け込みそうな2010年。怖い。
そんなこんなでクリスマスイブもうとクリスマス当日も普段と変わりなく過ごします。
去年はうどん食べてた気がする>クリスマス
クリスマス祝うならついでにボクシングデーも祝えばいいのにね。
おなかすいた。

初雪

とうとう私の住んでる辺りでも雪が降りました。
なんだろうね。やっぱり何歳になってもちょっぴりわくわくしちゃう。
東北だけどあんまり雪降らないところだし、積もるなんてことたまにしかないし。
寒空の下、仕事着(五分丈カットソー)のまま写メ。
明日には溶けて無くなっちゃうんだろうなぁ…